東京高等裁判所 昭和27年(う)1878号 判決 1953年7月20日
控訴人 被告人 山崎工業株式会社
弁護人 海野晋吉 外二名
検察官 曽我部正実
主文
原判決を破棄する。
被告会社を
判示別表一の罪につき罰金拾五万九千六百九拾六円に、
同二の罪につき罰金拾壱万参千九百七拾弐円五拾銭に、
同三の罪につき罰金八万弐千八拾壱円五拾銭に、
同四の罪につき罰金拾万参千九百拾六円五拾銭に、
同五の罪につき罰金参拾八万九千五百四拾四円に、
同六の罪につき罰金五拾七万八千四百九拾弍円五拾銭に、
同七の罪につき罰金百弐拾六万四千弐百四拾円に、
同八の罪につき罰金九拾五万九百九拾円に、
同九の罪につき罰金七拾弐万五千弍百参拾五円に、
同一〇の罪につき罰金拾八万六千四拾五円に、
同一一の罪につき罰金六万四千参拾円に、
同一二の罪につき罰金七拾万弐千五百五拾五円に、
同一三の罪につき罰金五拾弍万千参百六拾円に
処する。
訴訟費用は、第一、二審共全部被告会社の負担とする。
昭和二十二年九月移出の洋食器十三打分の物品税金五百三十六円を不正の行為により逋脱したという点については、被告会社は無罪。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人海野晋吉同坂上寿夫共同作成名義及び弁護人小野謙三作成名義の各控訴趣意書記載のとおりである。これに対し当裁判所は、左の如く判断する。
弁護人海野晋吉、同坂上寿夫の控訴趣意第一点及び弁護人小野謙三の控訴趣意第二点について。
弁論は、いずれも、これを要するに、被告会社が原判示のとおり二重帳簿の備付、過少申告等を行つたとしても、同会社はいわゆる納得納税の方法に従い納税したものであるから犯罪が成立しないというのである。よつて按ずるに、原審第三回公判調書中証人中野寿一郎及び同星野忠三の各供述記載によると、昭和二十二年八月頃論旨指摘のようないわゆる納得納税の方法による納税を行うべき旨の協定が被告会社を含む燕町の洋食器製造業者の団体とその所轄の巻税務署との間に行われたことを認めるに難くない。そして、そもそもこの納得納税の方法が採られるようになつた事情は、物品税法所定の手続が完全に遵守運用されるならば勿論問題はないのであるから、当時の実状は業者の側においても、税務署の側においても、この物品税法の完全運用のために必要な心組みと準備との不足著しく、結局法規の励行に頼つただけでは徴税の成果を完全に収め得る見込がとうていたたない状況であつたため、税務署においては、同法運用のために必要な態勢が整うまでの過渡期の方便として、寧ろ業者の団体に協力を求め、各業者の納付額は、その団体内において良心をもつて自治的にこれを協定させた上、その総計額の納付につき右団体をして税務署に対し事実上の責任を負担させるという方法により、現実上物品税法所期の目的達成の効果を挙げるに如かずとし、業者側においても、税務署のその意図を諒承の上、その方法によることを希望した結果、右納得納税の方法が採られるに至つたものと認めるべきであり、このことはまた原審第三回公判調書中証人星野忠三の供述記載及び当裁判所の証人星野忠三に対する尋問調書によつてもこれを窺うに足りる。従つて、納得納税の場合、各業者の各月分の申告額と実際の移出額との間に時に多少のくいちがいが生ずることは当然避けられないことであり、延いてはまた、このことと物品税法の規定との調和をはかるために、二重帳簿の作成備付を行うが如きこともやむを得ないところといわねばならない。そして、納得納税の方法がとられるに至つた趣旨が前説明のとおりであることに照らし考察すると、この方法を採つた結果やむを得ず前記のとおり二重帳簿の作成、備付及び多少の過少申告が行われたからといつて、これを目して物品税法(昭和二十四年法律第二百八十六号による改正前のもの、以下同じ。)第十八条第一項にいわゆる不正の行為であると即断することはできないものと解すべきこと、まことに所論のとおりである。しかしながら、これは、前説明のとおり、その方法により結局において物品税法所期の目的達成の実を挙げようとする趣旨に反しない場合にかぎるのであつて、若し、納得納税の方法が採られたのに便乗し、業者において高額に上る脱税を行つたような場合は、物品税法所期の目的達成を著しく妨げ、延いて納得納税本来の趣旨を没却するものであるから、これを目して正当の行為と認めることはとうていできないのである。このように、業者が納得納税の方法を利用し高額の脱税を企図し且つ実行した場合には、税務署係員において業者のその意図を知らなかつたときはもとより、たとえ税務署係員においてその業者の意図を知つていたとしても、その業者は、物品税法第十八条第一項にいわゆる不正の行為に依り物品税を逋脱した者としての責任を免れることはできない。この後の場合は、その業者の意図を知つていた税務署係員に対してもまた、その不正行為の加担者としての責任を認めるべきである。従つて、業者がいやしくも納得納税に便乗して高額脱税を行つたような場合は、その者の申告税額が税務署により指示された額であるとか、又は税務署の諒解を得た額であるとかいうことを理由に責任を免れることは許されない訳である。結局、業者がいわゆる納得納税の方法に従つた場合でも、それにより物品税法所期の目的達成の実を挙げようとする趣旨に反しないと認められる場合は、不正の行為と判断することができないが、業者がこの方法を自己の高額の脱税を図る手段として利用し物品税法所期の目的達成を著しく妨げたと認められる場合は、不正の行為であると判断すべきである。ところで、ひるがえつて本件についてこれを見るに、原判決挙示の証拠並びに証人小山寿の当公廷における供述、当裁判所の証人山崎文吉に対する尋問調書及び小山寿作名義の昭和二十八年七月六日附報告書と題する書面に徴し且つこれ等の証拠を基礎として計算した結果によると、被告会社が昭和二十二年九月から昭和二十三年十月までの各月分について逋脱した税額及び右各月分につき納税すべかりし額に対する実際の納税額の比率は、(1) 昭和二十二年九月(移出)の分は脱税額金五百三十六円(納税率九割八分強)、(2) 同年十月分は脱税額金三万千九百三十九円二十銭(納税率三割九分弱)、(3) 同年十一月分は脱税額金二万二千七百九十四円五十銭(納税率零)、(4) 同年十二月分は脱税額金一万六千四百十六円三十銭(納税率零)、(5) 昭和二十三年一月分は脱税額金二万七百八十三円三十銭(納税率五割八分弱)、(6) 同年二月分は脱税額金七万七千九百八円八十銭(納税率二割七分弱)、(7) 同年三月分は脱税額金十一万五千六百九十八円五十銭(納税率一割七分弱)、(8) 同年四月分は脱税額金二十五万二千八百四十八円(納税率一割弱)、(9) 同年五月分は脱税額金十九万百九十八円(納税率一割三分弱)、<10>同年六月分は脱税額金十四万五千四十七円(納税率一割五分弱)、<11>同年七月分は脱税額金三万七千二百九円(納税率三割七分弱)、<12>同年八月分は脱税額金一万二千八百六円(納税率六割四分弱)、<13>同年九月分は脱税額金十四万五百十一円(納税率二割弱)、<14>同年十月分は脱税額金十万四千二百七十二円(納税率二割三分弱)であつたこと(いずれも進駐軍関係を除く)と認めるに十分であり。右認定を覆すに足る証左はない。そして、このことを当時被告会社の専務取締役営業部長であつた原判示山崎文吉においても知つていたことは記録上これを窺うに難くない。以上認定の事実に基き考察すると、昭和二十二年九月分についての納得納税は、物品税法所期の目的達成の実を挙げようとする趣旨に反しないものであり、従つて不正の行為でないと判断して差支ないが、同年十月から昭和二十三年十月までの分は、いずれも右山崎文吉が納得納税の方法に便乗して高額脱税を企図し且つ実行し、もつて物品税法所期の目的達成を著しく妨げたものであると認めない訳に行かないのであつて、従つてそのために同人が行つた原判示二重帳簿の備付及び過少申告はこれを物品税法第十八条第一項にいわゆる不正の行為と判断せざるを得ない。なお、昭和二十三年三、四、六の各月移出の分については、山崎文吉が当初脱税の目的でいわゆる裏帳簿にのみ記入して表帳簿に記入せず一旦は移出したがその後戻入されたものも存すること前掲証拠上明らかであり、この部分については後段説明のとおり物品税を「逋脱シタ」ものとまでは敢て認定しなかつたため、右各月の脱税額からは一応これを除いたが、これについても同人が少くとも当初脱税の意図をもつて移出したことはこれを否定する訳に行かないのであつて若しこの点までをも考量すれば、同人の昭和二十三年三、四、六の各月分の行為が不正のものであることは、一層強調される筈である。次に、所論は、右山崎文吉は納得納税の方法に従い不正の行為でないと信じて原判示所為を行つたのであるから、同人には物品税法第十八条第一項所定の不正行為による物品税逋脱犯罪が認められないと主張するのであるが、行為が同法条にいわゆる「不正」のものであるか否かは、行為者の主観により決すべきことではなく、客観的に法律上の価値判断を行つて決せられるべきものである。しかも、山崎文吉の前記昭和二十二年十月から昭和二十三年十月までの各月分の行為がすべて客観的に不正の行為であると目すべきことは、前認定のとおりである。そして、物品税法第十八条第一項所定の行為による物品税逋脱犯罪についての犯意には、脱税の事実に対する認識及び不正と客観的に認めらるべき行為そのものに対する認識が必要であり、且つこれをもつて足りるものと解するのを相当とするのであるが、原判決挙示の証拠によれば、原判示山崎文吉に右のとおりの認識があつたこと、延いて右犯罪についての犯意があつたことを肯認するに十分であり、同認定に反する証左はない。右の理由により、昭和二十二年十月から昭和二十三年十月までの各月分については、右山崎文吉の右各所為は物品税法第十八条第一項所定の不正の行為による物品税逋脱犯罪を構成し、延いて被告会社もまた同罪責を負わなければならない訳であるから、このかぎりにおいて同会社に対し同罪責を認めた原判決は、結局においてその当を得たものと判断すべきである。しかしながら、昭和二十二年九月分については右山崎文吉の所為は同罪を構成せず、延いて、被告会社に対してもその罪責を認める訳に行かないから、被告会社に対し同罪責を認めた原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令適用の誤があるものと認めるの外ない。即ち、この点において原判決は破棄を免れない。
(その他の判決理由は省略する。)
(裁判長判事 藤嶋利郎 判事 飯田一郎 判事 井波七郎)
弁護人海野普吉、坂上寿夫の控訴趣意
第一点原判決は罪とならざる事実に刑罰法令を適用した違法があるから破棄せらるべきである。本件で、もつとも問題となるのは、所謂納得納税の方法による納税を当時被告会社では行つて居つたのであり、従つて真実の移出額と申告納税額とが符合しないこと、右申告納税の数字に相応する記載のある別口帳簿が存在していたことは直ちに以て物品税逋脱犯の成立を来すものではないと謂う被告人側の主張に尽きるものである。
ところで、ここに納得納税の方法と述べたが、これを要約するに、徴税当局と納税者又はその団体(主として同業者の組合等)とが概略の所得額又は本件物品税について言えば移出額を話合つて、双方諒解の上で、必ずしも真実の額に拘泥ることなく、右話合額にもとづく申告、納税を行う方法を指称するものであつて、右は申告納税制の実施直後の時期においては、汎く全国的に行われた方法であり、ことに、大会社よりも中小業者の同業者間において所謂納税組合(法認されていたこともある――証人星野忠三の証言御参照)というようなものをつくつて徴税当局との間に団体交渉方式を採り、それを組合員間で適宜按分納税したものであつて、またとくに直接税よりも本件物品税等の間接税について屡々行われた方法であることは公知の事実とも謂うべく、ここに一々例証をあげて論ずるまでもあるまい。
ところで、本件被告会社の場合が正に右の納得納税にあたる、その典型的なものであつたことは証人 小林鉄之助、同島田清次郎等の証言によつて明かである。しかるに原判決は「また物品税の性質からいつても、たとえ右のように割当てがあつた場合でも実際それ以上に製造移出されているような場合はその実際移出数量に基いて課税標準額の申告、納税すべきが当然であり、これを無視して真実に反し、しかも過少であることを認識しながらその過少額を申告、納税した場合は、正規の税額を納付する意思があつたとは認められないから、これ即ち不正行為による物品税の逋脱行為というべきである」と謂うのであるが、その甚だ形式的な議論であることに到底承服しがたいものがある。即ち右判決の議論前段は所説自体正にその通りであろうが、しかもその法の正条からは必しも出て来ない取投いが徴税、納税の便宜から、徴税当局も諒解(むしろ、ある時期においては奨励)してでき上つていたのが納得納税方式である。しかうして、しかる以上、右判決後段の所説の如き真実と必ずしも符合しない数字の記載ある帳簿を作成しおくことはまた納得納税の方法が当然に予定する事実であつて、これを以て不正手段となす訳にはゆかないのである。あるいは、納得納税とは言つてもその納税額についての協定なるものは、原判決の謂うように、「その最低額を取極めたに過ぎないのであつて、それによつて正規の納税を抑止しようとしたものでない、………」と謂うようなものであろうか。右は、甚だ当時の実情に副わない断定であるのみならず、原判決の採られるような立場からしては、どうして最低額を決めるというようなことがあり得乃至認め得るのであろうか。理論的にはすべて実額にもとづくべく、最低額にもせよ何にせよ協定すると言うことは意味をなさないし、また一体実額が最低額以下である場合はどうなると言うのであろうか(諸証言によれば、この場合も協定額だけは納税せしめる方式であつたこと明か)これを要するに、原判決が認めた建前なるものは、証拠の一部を採つて論断したもので、証人のうちには建前の議論としてはさようなことになる旨証言しているものもあると謂うに止つて実情に即さないものであることは原記録を通じて明白である。むしろ本件納得納税の主張について唯一つ問題があるのは、右納得納税方式が本件起訴の全期間を通じて行われていたかどうかということであろう。すなわち、起訴の最初の時期である昭和二十二年九月頃にはかようなやり方が行われていたことは争ないが星野証人の証言によれば、右の方法は同年十月末を以て打切れたのではないかと言う疑があるのである。しかし右は、表向は正にそうなつたと言うまでで、実際の切換がしかく簡単に打切になつたものでなかつたことは、これまた当時全国的にこの方式を行つて来た場合に通常見られる通りである。前掲星野証人の証言によつても、右時期後もなお業者間では同様の方法による納税を続けて居たろうことを述べて居り、おそらく、税務署当局もそのやり方を引続き暗黙のうちに肯認していたものと認められるのである。しかうしてその事実(納得納税を続けていた実情)は、更に前掲小林、島田証人等の証言を検討すればきわめて明かなのである。とすれば、税務署当局がいかに考えていたかは、かりに問わないとしても、被告会社(行為者)においては、引続き徴税当局の諒解、むしろ指示にもとづいて納税しているのだとの確信に立つていたことは疑を容れないのである。
本件納税の実情が右の如くである以上、本件行為者たる当時被告会社の営業部長山崎文吉の行為について、物品税逋脱犯の成立を認めることはできない。右は正に、違法性の認識を欠き、且つ認識しなかつたことにつき過失がなかつたものである。あるいは、これを責任論の立場よりすれば、かかる事情の下において、本件の如き所為に出た者について、なおかつ刑事責任ありとなすことはできないものと信ずる。しかうして行為者について犯罪の成立なき以上被告会社にこれを論ずるまでもない。畢竟、原判決は罪とならざる事実に刑罰法令を適用したもので破棄を免れない。
弁護人小野謙三の控訴趣意
第二点新潟県西蒲原郡燕町を中心として被告会社をも含み関係業者間に於て燕洋食器工業組合を組織し納税についても其の組合に於て処理して居たもので本件物品税納付についても所轄税務署の指導により右組合に属する業者を一括して其の月々に於ける総括的税額の決定を受け其の指示額を右組合に於て所属各業者に割当て其の割当額を納付せしめ以て税完納を期して居たもの即ち所謂納得納税の方法を取つて居たものである。このことは山崎文吉に対する検察官作成の第一回供述調書証人星野忠三、中野寿一郎、小林鉄之助、島田清次郎等の証言によつて明白であるのみならず所謂納得納税の方法が取られて居たことは原審判決も認めて居る処である(原判決中各弁護人の主張に対する判断一ノ点)。而して本件は昭和二十二年九月から昭和二十三年十月迄の事犯であつて終戦直後の事犯であるのみならず税法亦年々其の改正を見たる状況にあり当時一般民衆も亦複雑なる法規になずまず只従来の例になれ万事当局の意思を忖度依頼せんとの気風未だぬけきらぬ時代にあつたのである。本件は其の際に於ける所謂納得納税であつたのである。納得納税については所謂詐欺その他不正の行為を為す意思を認めることは出来ないのである(昭和二十五年五月二十日東京地方裁判所刑事第十七部判決参照)。若しそれ原判決説示の如く納得納税の方法が取られたことを認めながら「右納税額についての協定は物品税の納付を確実にすることを前提として最低額を取り極めたに過ぎないのであつてそれによつて正規の納税を抑止しようとしたものでない(中略)。しかも過少であることを認識しながらその過少額を申告、納税した場合は正規の税額を納付する意思があつたとは認められない」と云うなら何も納得納税の方法を採る必要は毫末もなく真実協定額よりも少い取引が行われた場合にどうすればよいのか其の説明に苦しむものである。所謂納得納税は定められたる税額が真実其の税額に相当する取引があつたかどうかを確定することなく其の間に真実と合致せぬものありといえども定められたる額を其の期間の取引に対する税額と見做し納税する義務を負担せしめることを特質として居るものである。原審の理由は右の特質を忘れたるものにて只本件は有罪なりとの予断のもとに強いて理窟をつけたに過ぎない取るに足らぬ理由と云わねばならぬ。更に原判決が「たとへその割当額を申告納税しても後日税務署の調査の結果これと異なることが判明した場合は更に請求または調整される建前であつたことが認められる」として居るも更に請求し得るからとてそれが直ちに逋脱犯を構成すると云う結論には到達せぬ。何となれば納税額と逋脱額とは必ずしも一致するものではないからである。
されば本件は納得納税の方法を採られて居た間に於ける事犯であることは明白なのであるから被告会社の物品税納付について取扱をして居た従業者(山崎文吉)に其の犯意がなかつたものである。従つて被告会社は物品税逋脱について何等の責任を負うべき筋合でない。原判決は破棄さるべきものと信ず。
(その他の控訴の趣意は省略する。)